ポーカープレイヤー名鑑

フィル・アイビー Phil Ivey

1976年2月1日生まれのラスベガス在住プレイヤーです。ポーカー界のタイガーウッズとの異名を持ち、8つのWSOPブレスレットとWPTのタイトルを1つ獲得しており、ライブトーナメントでの総賞金額は$1300万を超えています。プレイスタイルはアグレッシブなベットと大胆なブラフで、多くのファンを魅了してきました。実績、多くのプレイヤーの評価、ファン投票から世界NO1プレイヤーと言っても過言ではないです。

 

トム・ドワン Tom Dwan

1986年6月30日生まれのオンライン出身のプロで、その後のHigh Stakes Poker等のテレビ番組でアグレッシブなプレイを披露し人気を集めました。ドワンはボストンの工学専攻の大学を中退しましたが、オンラインポーカーからスタートしポーカー界の頂点まで上り詰めるのに時間はかかりませんでした。途中オンラインポーカー最強と呼ばれていたプラーラド・フリードマンに数ヶ月間負けてバンクロールが崩壊するところまでいきましたが、一旦レートを下げて資金をためて再度挑み、遂にフリードマンを打ち負かすまでに至りました。ドワンは2009年に「Durrrrチャレンジ」と呼ばれるゲームについて挑戦者を募集しました。これはドワンと$200~400以上のレートで5万ハンドをプレイして、その結果相手がドワンに勝っていた場合追加で$150万貰える代りに、負けていた場合は$50万をドワンに渡すといったものでした。こうでもしないと挑戦者が現れないのです。テレビ番組ではFull Tilt Poker’s Million Dollar Cash Gameにおいてアイビーと$1108500の史上最高額のポットを競って勝ちました。それまでのラスベガスで名を上げてのし上がったプロに対して、オンラインポーカーから始めて24歳にして頂点までのぼドワンは対極に位置します。その後はTriton PokerのキャッシュゲームでPaul Phuaと$2353500のポットを競い負けてしまいました。

 

ダニエル・ネグラーノ Daniel Negreanu

1974年6月26日生まれのカナダ出身のプロで、4つのWSOPブレスレット及び47回の入賞、2つのWPTタイトルを獲得しており、生涯獲得賞金額は$1400万を超えています。キャッシュゲームについてはベラージオのビッグゲームの常連で、High Stakes Pokerにもよく出演しています。またウルヴァリン:X-MEN ZERO、ラッキーユー等映画にも多く出演しています。巧みな話術で多くの人を魅了し、多くのファンを獲得しています。著書として「Power Holdem Strategy」がありスモールボール戦略の名著として評価されています。

2004年のワールドシリーズ$1000ノーリミットホールデムではリバイとアドオンが導入され、ダニエルはわざと酔狂なプレイで27回破産し、27回リバイし、リバイラウンドが終わる頃にはテーブル内にばら撒いたチップを回収し優位に立ち、最後は3位で終了しました。リバイとアドオンで$28000を投じ、賞金$101000を獲得しましたので、$73000の利益を出したわけです。この戦略は見事でした。

 

アネット・オブレスタッド Annette Obrestad

1988年9月18日生まれのノルウェー出身のプロで、15歳の時からオンラインポーカーを始め、ポーカーは放課後の趣味にしていました。最初はプレイマネーでやっていましたが、やがてフリーロールで数ドルを手にすると以後一度も入金することなくポーカースターズで$1310235、フルティルトで$634780をトーナメントで稼ぎました。ライブでは18歳の時始めてバイイン$10000のWSOPヨーロッパに出場し、361人のプレイヤーを打ち負かして最初のWSOPブレスレットと賞金$2013734を獲得しました。以前はフルティルトの契約プロでした。

$4バイインの180人参加のシットアンドゴートーナメントでは、1ハンドを除きハンドを見ることなくプレイして優勝した経歴もあります。

 

プラーラド・フリードマン Prahlad Friedman

1978年5月20日生まれのロサンゼルス在住のプロで、サンフランシスコの名門大学UC Berkeleyで民俗学を専攻の学生中にポーカーと出会いました。WSOPブレスレット1つ(入賞6回)、WPTタイトル1つ(入賞7回)を獲得しており、ライブポーカーの獲得総賞金額は$2300000超えです。オンラインポーカーも強く、キャッシュゲームにおいて独自の思い切った理論で相手を尽く粉砕していきました。非常にタフな精神の持ち主です。当時無敵だったトム・ドワンをも打ち負かし、彼のレートを一時下げさせたことでも有名です。

 

ガス・ハンセン Gus Hansen

第1回のポーカー・スーパースターズ・インビテーショナルのチャンピオンで、WPTのタイトルを3つ手に入れ、2007年にはオージー・ミリオンズのチャンピオンとなりました。プリフロップは安く多めに参加して、フロップ後に相手の弱気を感じ取ったら強気に攻めて、そうでなければ慎重になるプレイスタイルで、相手のミスを誘いやすいです。ワンペアやドローでオールインまでいくのを躊躇わないため、相手としては非常にやりにくく、ガスとぶつかることを避ける傾向があります。結果的にブラインドがガスに流れて奪ったチップで更に圧力をかけてくるのです。世界で最も優れたプレイヤーの一人です。

 

ダン・ハリントン Dan Harrington

非常に忍耐強いタイトなプレイヤーで、トーナメントでそのイメージでもってスチールをするのがとても上手いです。スチールでチップ量を維持し、いい手で大きなポットを稼ぐ理想的なポーカーをします。また滅多にブラフをしないため、する時はほぼ毎回成功します。自分のハンドに溺れることもなく、多くのプレイヤーが犯してしまうワンペアで破産するなんてこともまずしないプレイヤーです。

 

クリス・ファンガーソン Chris Ferguson

2000年のWSOPのチャンピオンであり、生涯獲得賞金額は$8ミリオンを超えており、その中にはWSOPでの64回の入賞と5つのブレスレットも含まれています。ポーカーを数学的に考える理論家プレイヤーであり、テルとかをあまり重視せず確率に基づいたプレイを得意とします。それゆへにトーナメントよりかはオンラインキャッシュゲームに向いてすが、彼によれがキャッシュゲームもトーナメントも本質は変わらないそうです。またバンクロール管理に長けており、フリーロールからスタートして、9カ月後には$0を$100にして、更に9ヵ月後には$10000にして、4年後には$126000にするという快挙を達成しました。

 

フィル・ヘルミュースジュニア Phil Hellmuth Jr.

1964年7月16日生まれで、アメリカのウィスコンシン州マディソン出身です。相手を挑発することで悪名高いプレイヤーです。バットビートを喰らった時椅子をぶん投げたという話もあります。彼の口車に乗ってしまって負かされてしまったプレイヤーは何と多いこと。プレイスタイルとして割と多くのハンドで参加しますが、フロップ後の技術に長け、特に自分が勝っているか負けているか見抜く力が高いのです。1989年のワールドシリーズオブポーカー(WSOP)と2012年のワールドシリーズオブポーカーヨーロッパ(WSOPE)の優勝者であり、ワールドシリーズオブポーカーブレスレットを15回獲得しました。見てる側としては飽きさせず彼のファンは多いです。

 

クリス・マネーメーカー Christopher Bryan Moneymaker

1975年11月21日生まれで、ジョージア州アトランタ出身です。ポーカー界に革命をもたらしたと言われるプレイヤーで、2003年オンラインポーカーのWSOPサテライトで予選を通過した後、WSOPで優勝しました。リスクの少ない小額のバイインからでも、大きなポーカートーナメントの舞台に立ち、才能を開花できることを示した最初のプレイヤーで、自伝に「WSOPでアマチュアポーカープレーヤーが$ 40を$ 250万に変えた方法」があります。サテライト無くしては表に出ることの無かったため、サテライトに注目が集るようになり、WSOPやWPTはは急成長を遂げたという変遷があります。